韓非子とコンプライアンス

「性善説」と「性悪説」という2つの考え方があります。

性善説の代表が孔子であり、この影響で日本の社会は性善説をベースに成り立っている(成り立っていた)と言われています。

性善説の立場は、人間の本性は善であり、基本的には人間を信頼していこうという考え方といえます。


そのような考え方は甘い、理想主義だと批判するのが性悪説で、韓非子がその代表的な思想家です。

性悪説では、人間の本性は悪であり、しっかりとし規範をつくってこれを押さえ込まなければならないという立場をとります。

韓非子は、君主には「法」と「術」の2つが必要だといいます。

「法」とはその名のとおりで、法律・明文化されたルールのことであり、これに違反した者は厳しく処罰するということです。

「術」というのは、部下・人民の統制ノウハウのことであり、具体的には勤務評定などで業績・成果を評価することです。


性善説と性悪説のどちらが正しいとは一概にはいえないと思います。

物事の考え方・感じ方のベクトルが揃っているメンバーで構成されているグループ内においては、性善説に基づいてマネジメントするほうが上手くいくかもしれません。

しかし、グローバル化の進展によって異なる文化で生まれ育った者どうしが交わることが多くなった今、自分が当然に正しいと思うことが、相手が同じように考えるとは限りません。

国家どうし・企業どうしにおいても、また国家と市民(外国人を含む)の間においも、相互に誤解が生じないよう明確な取り決めやルールを定め、万一これに反した場合の処置・処罰についても予め定めておくことが重要になってきています。

企業におけるコンプライアンス態勢の構築というのも、この文脈で行われるものだと思います。


ただ、韓非子が「法」と「術」の2つが必要だと指摘しているのに対して、昨今のコンプライアンス対応というのは「法」の面ばかりが強調されているきらいがあるように見受けられます。

また、勤務評定に関しても、「今期の売上」に直接結びついた貢献ばかり評価し、企業の継続的発展に寄与するような行動を取った人に対する評価が適切になされていないようにも思われます。

ルール違反は厳しく咎められるのに、貢献に対して報いることが少ない(無い)組織だとしたら、果たしてそこで働いている人々のモチベーションやロイヤルティ(loyalty)が高まるでしょうか?

コンプライアンスは企業の継続的な発展のために取り組むものですので、単にルールを作って厳しく運用するだけではなく、そこで働く人々の働きがいが高まるような組織を作っていくことも重要な要素だと考えます。

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